2006-01-01から1年間の記事一覧
古くから学生の街として栄えたハイデルベルクには、大学関連の建物が多い。治外法権で警察が介入出来なかったために設けられた「学生牢」は1712年から1914年使用されたが、講義で外出したついでに食料や酒を持ち込み、逆に牢屋生活を楽しんでいたとか。その…
ネッカー河畔沿いの立派なホール兼レストラン「コングレス・ハウス」にて昼食。
旅行最終日はオプショナル・ツアーを利用し、フランクフルトからバスで約一時間のハイデルベルクへ。
フランクフルトが生んだ詩人ゲーテの生家と隣接する博物館ゲーテハウスは、第二次世界大戦で破壊された後に復元され、その技術は最高傑作とか。私達は中には入らなかったが、調度品は別の場所に保管されていたため本物。
マルクト広場にある市庁舎の仕掛け時計は、煩いくらいの音量のラッパが鳴るだけ。この旅行中に見た各地の仕掛け時計に比べ、至ってシンプル。
貧しい人などへの施しを行い、王女から後に守護聖人となったエリザベートを称えて建築された、ドイツ最古でゴシック様式のエリザベート教会。
カッセルの街外れにあるヴィルヘルムスヘーエ公園は、夏季に週二回行われる「水の芸術」が見もの。残念ながら日程が合わず、閑散とした緑地帯を散歩。(2013年世界遺産登録)
ヴュルツブルクを北上し、メルヘン街道を通ってカッセルへ移動。スイスのアイスクリーム会社系列のメーヴェンピック・ホテルに宿泊。ロビーにアイスクリームの自動販売機があって惹かれたが、夕食は併設のショッピングセンター内にあるカフェにて、ベリーた…
ニュルンベルクから北上し、ロマンチック街道の北の基点となるヴュルツブルクへ移動。マリエンベルク要塞はアルテマイン橋から眺めるのみだったが、主要観光スポットの殆どは歩いて行ける範囲内にある。
広場の片隅にある「美しの泉」は、40体の像が飾られた高さ17mの塔。周りを囲む鉄柵についた金色の輪を三度回し、誰にも打ち明けなければ願い事が叶う、という云われがある。
ニュルンベルクで最も古い聖セバルドゥス教会には、聖人セバルドゥスが祀られている。
ワーグナーの歌劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー(名歌手)」の舞台としても知られるニュルンベルクは、バイエルン州でミュンヘンに次ぐ50万都市。西はマンハイム、ハイデルベルク、ローテンブルク、そして東は隣国チェコのプラハまでを結ぶ「古城街…
ホテル・シュランネは、小ぢんまりとしたアットホームな雰囲気の宿。
ローテンブルクの正式名称はローテンブルク・オプ・デア・タウバー Rothenburg ob der Tauberで、「タウバー河畔のローテンブルク」という意味。ローテンブルクという名の町が他にも存在するため、河の名前を付けて区別している。主要都市のフランクフルトも…
完成までに百数十年を要し、15世紀末に完成したゴシック様式の聖ヤコプ教会。彫刻家リーメンシュナイダーが作った聖血の祭壇や十二使徒祭壇、5500本もあるパイプオルガンでのコンサートが有名。
ドイツ南端にあるノイシュバンシュタイン城からは中世の街並みが残る都市を繋ぐ「ロマンチック街道」を北上し、ローテンブルクまで約300kmの大移動。しかし、バスが走るのは殆どがアウトバーンのため、各都市は道路の防音壁越し遠方に眺める程度。実際はディ…
朝七時にミュンヘンを出発。テレビCMにも登場した風景などを眺めつつ、フュッセン近郊にあるノイシュバンシュタイン城の麓に着いたのは八時半頃。
時刻は夕方五時前。急ぎ足でマリエン広場に向かうと、新市庁舎の前は既に人だかり。双子の塔はフラウエン教会。左の南塔の高さは100メートル、北塔は99メートル。
ミュンヘンのニンフェンブルク城は、17世紀から19世紀にかけて増改築を重ねて建てられたバロック式の宮殿。
リンダーホーフ城への足掛かりともなるオーバーアマガウ。建物の外壁にフレスコ画が描かれた街並みと、十年に一度、五千人程度の村人総出で上演される「キリスト受難劇」でも広く知られている。フレスコ画の題材は宗教的なもの、童話をテーマとしたもの、窓…
ミュンヘンより南下すること一時間半、リンダーホーフ城へのオプショナル・ツアーに参加した。ノイシュバンシュタイン城を建てたバイエルン王ルートヴィヒ二世が、フランスのヴェルサイユ宮殿を真似て1878年に建設した、高級邸宅といった風情の城である。ル…
ミュンヘンに移動し、有名ビア・ホールの「プショール・ケラー」で夕食。体育館のように広く、ステージの存在感が薄かった。
ドイツ南西部のシュヴァルツヴァルト地方に広がる森林地帯は、もみの木などの針葉樹が多くて森全体が暗い色のため、「黒い森」と呼ばれている。曲がりくねった道をバスに揺られて進むこと一時間、フロイデンシュタットで休憩。
「バーデン」とは「温泉」という意味で、バーデンバーデンは温泉保養地として名高い。長期滞在しても飽きないよう各種施設が揃っているが、有名ブランド店やフォーマル・ウェアが基本となる店が多い。
ライン河の観光クルーズ船は南はマインツ、北はコブレンツまで行き来しているが、最初から最後までだと五時間も掛かる。駆け足観光組の私達はその中間、古城が集中しているリューデスハイムからザンクト・ゴアールまでの区間を利用。
ライン河クルーズ船に乗るため、マインツからリューデスハイムに移動。
添乗員付きツアーで、初めて関西空港を利用。私と相方と他参加者三名の関空経由組は直行便、成田空港発の組はフランス・パリ乗り継ぎでドイツに向かい、現地で合流することになっている。 午前 札幌発 午後 関西空港 フランクフルト着 マインツへ 午前 リュ…
帰国便の出発は夜九時半なのに、インドでは何が起こるか分からないからと、夕方四時過ぎには追い立てられるようにデリー市内を離れた。運良くというか案の定、五時頃には空港が見える場所まで来てしまった。前にもこんなことがあったな。(@ベナレス)
ラール・キラーはタージ・マハルの建造者でもある、ムガル帝国第五代皇帝シャー・ジャハーンによって築かれた城塞。完成したのは1648年。赤い砂岩で造られたラール・キラーは「赤い城」という意味を持ち、英名でレッド・フォートとも呼ばれる。私達は中に入…
旧市街オールド・デリーの目抜き通り、庶民が集う繁華街チャンドニー・チョウクを、インドの人力自転車リクシャーに乗り換えて観光することになった。